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新品 :66737119383
中古 :66737119383-1 |
メーカー | ce989e | 発売日 | 2025-06-02 13:59 | 定価 | 25000円 | ||
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不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款
閉じる「上楼空望往来船」白氏文集の有名な漢詩
閉じる仙台藩医・木村寿禎の落款
閉じる原本の断層画像写真
閉じる玉鬘邸を訪れる薫の君(国宝・竹河Ⅰ)
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閉じる桜を愛でる2人の姫君(大君・中の君)拡大
閉じる玉鬘家系図
自筆「源氏物語」の「竹河(たけかわ)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。和暦一枚紙 明治24年 九星術 方位神 家相 検)神道神社仏教仏陀浄土真宗浄土宗真言宗空天台宗海親鸞法然 戦前明治大正古書和書古文書NS。
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。●極上和本YM4877●江戸明治和本等>新編松島往来[松嶋往来]滕耕徳 稀書往来物。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。●極上和本YM4860●江戸明治和本等>下総名所往来 極美本 稀書往来物 文政板後印。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。【極美 大特価 レア 入手困難】『昭和北野大茶湯』図録及び記録【非売品】北野大茶湯三百五十年記念大献茶会 昭和12年 裏千家 表千家。現在の今上天皇と系譜がつながっている。●極上和本YM4859●江戸明治和本等>〈頭書絵入〉成田詣文章〈楠正成壁書〉滕耕徳 稀書往来物。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。周防国錦帯橋之図。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。●極上和本YM4872●江戸明治和本等>諸国名山往来 十返舎一九 森屋板 稀書往来物。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。●極上和本YM4909●江戸明治和本等>〈諸人必用〉民家養生訓 小川顕道作 明治初年刊 医学。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。橘南谿『諸国奇談東西遊記』(東遊記五巻後編五巻 西遊記五巻続編五巻 計二〇冊)寛政7-10年 吉田善蔵他刊 江戸時代和本 泉鏡花旧蔵書か。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。高野山独案内。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。日本三景之内天之橋立。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。大和めぐりの記。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。盆栽旅座 1~11巻 書籍。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。満洲帝国最新大地図。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。柳田国男全集 既刊37冊 柳田国男。また、各巻ごとの書かれた年については不明。●極上和本YM4849●江戸明治和本等>〈中仙道〉都路往来 天明板系統 文化再板 美本 稀書往来物。従って、応永五年とは、書き始めの年である。海軍志願兵案内。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。江戸大節用 江戸時代 節用集百科事典国語辞典辞書漢字字典字引き国学国語学漢学 検) 古書和書古文書古本PK。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。銀閣寺林泉図。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。HH-5986 ■送料込■ 俳句 俳諧 和歌集 句合 書籍 まとめて 大正 昭和 戦前 レトロ 本 古本 古書 古文書 /くJYら。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。状元詩経 洪武正韻 木刻本 唐本漢籍 清朝期? 線装本 検索⇒支那 彫版 古籍善本 刻経 玉扣 筒子頁 武英殿本 套色印 宣紙 白棉紙 木版 経書経。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。毎日新聞社 国宝、正倉院宝物、御物各全巻セット。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。創立100年記念出版 縮小版ニュース専修で見る 専修百年 専修大学。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。金沢昇平編『真景密画挿入大和名所巡覧記』明治24年 坂田一郎刊(奈良県)寺社仏閣・名所旧跡を銅版画挿絵入で紹介した地誌 明治時代和本。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。●極上和本YM4844●江戸明治和本等>〈新版〉童子書状鑑 童子手習書状鑑 十返舎一九 美本 稀書往来物。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。和漢三才圖會 外夷人物 絵本 検索⇒唐画 武道 武具 装身具 馬具 武器 刀剣術 兵器 兵書 傳書 戦陣 甲冑 鎧兜 弓矢 弓道 支那 武士道 殺人剣。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。中庸或問 朱熹 江戸期 朱子学 儒教儒学四書五経 江戸時代 検) 孔子孟子古書和書古文書古本PK。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。石川依平『柳園詠草』(全2冊揃)明治14年刊 明治時代和本 石川依平家集 歌集 冷泉為章・栗田土満・本居春庭に学んだ江戸後期の歌人。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。●極上和本YM4895●江戸明治和本等>和洋字混部類[〈WAYOU〉字混部類](初編)A良好。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。手裏剣/成瀬関次/昭和18年/2000部/乏しい資料をまとめて開闢以来はじめての手裏剣の本にしたのがこれである・手裏剣の形状・手裏剣の術。
出品した「源氏物語」は竹河(たけかわ)の内容の要旨
「竹河」(たけかわ)の巻は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。(古本)トーマスクック ヨーロッパ鉄道時刻表 2018年夏 ダイヤモンド社 D01455 20180704 発行。薫の君、14歳から23歳までの恋物語。四書(大学/中庸/論語/孟子) 10冊揃い 明治18年 ☆和本 儒教 儒学 木版 五経 B245y。薫の君15歳の正月下旬、髭黒大政大臣の正室であった玉鬘(たまかずら)の姫君の邸に薫の君や蔵人少将(夕霧の子息)が集い催馬楽の「竹河」を謡い興じていた。m237◆会津藩 右筆 星研堂◆吊屈原賦楷帖 1冊◆肉筆 江戸 嘉永2年 攬翠軒 漢文 書道 書家 福島県@和本/古文書/古書。その席で玉鬘(たまかずら)の姫君は薫の君が弾く和琴の音色がなき弟の柏木の音色に似ていることに気づく。●極上和本YM4876●江戸明治和本等>〈弘化新刻〉木曽路往来 鼻山人 東里山人 稀書往来物。3月の桜の花盛りの夕暮れ時、玉鬘(たまかずら)の二人の姫君が御簾をあげ、桜の木を賭け碁を打っていた。非売品 熱河 解説 竹島卓一 関野貞, 竹島卓一 著、座右宝刊行会、昭和12年 商品説明に目次画像あり。蔵人少将(夕霧の子息)はその姿を見て二人の姫君のうち姉の大君への思いを募らせていく。三曲合奏之図。薫の君、蔵人少将と玉鬘(たまかずら)の二人の姫君のきらびやかな恋物語が描かれている
原本自筆上部に「上楼空望往来船」(楼に上りて空しく望む、往来の船)玉鬘には美しい二人の姫君(大君・中の君)がいる。当方、先祖より代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 御成敗式目 古文書。(八の宮の姫君とは別)二人の姫君には冷泉院(前冷泉天皇)、今上天皇、そして蔵人少将(夕霧の子息)というきらびやかな求婚者がいる。福島中佐西比利亜遠征。しかし、髭黒大政大臣という夫のなきあと、玉鬘は朱雀天皇の皇后で明石中宮の権力に圧倒されていた。●極上和本YM4892●江戸明治和本等>〈新板頭書〉訓蒙夷曲歌字尽 文化板 稀書往来物。明石中宮という圧倒的な権力者の前に自分の立場が風前の灯であることを悟る。大礼記念国産振興東京博覧会全景。紫式部が「竹河」を書くに際し、「白楽天」の漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかる。娘之手芸。詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。【希少】東光山学術文献集成 第一集 書言字考節用集 橋本大心 東光山文庫 国語辞典/用字集/国語学/日本語学【ac01j】。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」竹河(たけかわ)の巻》
「竹河」の巻は英文で「The Eastern Cottage」と表記されます。家庭防火の心得。
《自筆上部の原本自筆上部に「上楼空望往来船」(楼に上りて空しく望む、往来の船)漢詩文の落款が押捺されている。m▼** 江戸期 楠家傳七巻書 全五冊 揃い 江戸天和 和本 古書 絵入り /I74。この漢詩は「白楽天」中の有名な一節です。兵法場の由来。》
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。●極上和本YM4921●江戸明治和本等>忠臣蔵道化縁起 宝合勢貢之蔵入 林至止蔵 滑稽本。)
「自筆原本」
自筆右下の上の印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子と娘・幾千姫(玉映)の落款。郷土史料 福島☆明治28年 真図入飯坂温泉案内 香味才助著作兼発行 14頁 飯坂真図 一部破れ大/欠け 検:福島飯坂温泉版画。
自筆右下の下の印は、仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室・伊達貞子の押印《自筆上部の原本自筆上部に「上楼空望往来船」(楼に上りて空しく望む、往来の船)という漢詩文の
落款が押捺されている。三国伝来之図(善光寺)。漢詩文の落款が押捺されている。風流たなばた染し合の躰。この漢詩は「白楽天」中の有名な一節です。「非売品/明治44年」懐徳堂遺書 松村文海堂 論語逢原・勢語通・奠陰集・竹山国字牌 10冊 和本 古書 アンティーク。》
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。地方落穂集。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。当方、先祖より代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 一張弓 空金火本木 古文書。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。●極上和本YM4912●江戸明治和本等>観世音利益仇討 聖観世音霊験記 松園梅彦 稀書。
《「源氏物語」竹河(たけかわ)の巻》
《くねくね》・・・・しき事いてきなとして、をのつから
御中もへたゝるへかめり。嶺田楓江著 橋本貞秀(歌川貞秀)画『海外新話』(2冊=第2、3巻)嘉永2年序刊 江戸時代和本 中国史。世のこと(事)ゝして、
かす(数)ならぬ人のなか(中)らひにも、もとより、
ことわりえたるかたにこそ、あいなきおほよその人も、
心をよ(寄)するわさなめれは、院のうち(内)の上(かみ)
下(しも)の人々、いとやむことなくて久しくなり給へる
御かた(方)にのみことわりて、はかないこと(事)にも、
此御かた(方)さまをよからすとりなしなとするを、
御せうとの君たちも、「されはよ。●極上和本YM4863●江戸明治和本等>〈享和新編〉浅草詣文章 中原耕張 稀書往来物。あしうやは聞こえをきける」
と、いとゝ申し給ふ。東京自慢 両国之花火。心やすからす聞きくるしきまゝに、
「かゝらて、のとやかにめ(目)やすくて、よ(世)を過くす
人もおほ(多)かめりかし。1714年 周易 河圖 洛書 伏羲八卦 周文王 木刻本 検索⇒太極 古籍善本 唐本漢籍 支那 陰陽五行 彫版 玉扣 筒子頁 殿本 套色印 白棉紙 経書経。かき(限)りなきさいは(幸)ひなくて、
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。☆3234和本江戸期赤穂浪士忠臣蔵写本「義臣伝」5冊揃い/古書古文書/手書き。
《「源氏物語」竹河(たけかわ)の巻》
《太政大臣の正室・玉鬘の姫君(大君・中の君)への冷泉院(前冷泉天皇)と今上天皇の求愛物語・自筆「源氏物語」「竹河」の原文》
《大君・冷泉院(前冷泉天皇)の許に輿入れ》
《冷泉院(前冷泉天皇)と今上天皇主催の管弦の宴》
《冷泉院(前冷泉天皇)と大君の間に女宮が誕生、中の君尚侍となる》
《玉鬘の姫君(大君)男子を出産》
《これまでは女一の宮をこのうえなくたいせつにしていらっしゃったものを、
こうしてそれぞれにおかわいらしく御子があいついでお生れになったのだから、
あまりにも思いがけないこととてご寵愛もまったく格別であるのを、
女御(弘徽殿女御・冷泉院の正室)も、こんなふうに度が過ぎては
おもしろくないことになりそうだと、平らかならぬお気持になるのだった。●極上和本YM4855●江戸明治和本等>七湯廻文章 記行文章 十返舎一九 箱根温泉廻 稀書往来物。
何かにつけて穏やかでなく、》・・・・・わだかまりも生じてきたりなどして、
しぜんに女御(弘徽殿女御・冷泉院の正室)と御息所(大君・玉鬘の姫君)との
御仲も隔てが生じてくるようである。w∞6 江戸期 冠辞考 全10冊揃 寛政7年 木版 紐綴じ 和本/E02。
世間の習いとして、つまらぬ男女の間でも、はじめから筋の通っているほうに、
かかわりのない第三者も味方するもののようであるから、
院(冷泉院・前冷泉天皇)の内の人々は上下ともども、まことに貴い女御という
ご身分で長年お過しになった御方(弘徽殿女御・冷泉院の正室)のほうに
ばかり理があるように考えて、些細なことについてもこの
御息所(大君・玉鬘の姫君)のほうをよからぬものに取り沙汰などするので、
御息所(大君・玉鬘の姫君)の御兄の君(左近中将と右大弁)たちも、
(左近中将・玉鬘の子息)「それごらんなされ。2558■印譜■印影■ 篆刻 原鈐 実押 落款 鑑定 印章 印鑑 判子 書道 漢字 和本古書古文書和書古本骨董古美術/中国 漢籍 唐本 唐物。
まちがったことを申しあげたのではなかったでしょう」
と言いつのって申される。●極上和本YM4965●江戸明治和本等>鹿島名所図絵 鹿島志 北条時鄰 地誌 名所図会 小虫補修。母君(玉鬘)は気も休まらず聞くのもつらくて、
(玉鬘)「こんな苦労をしないで、のびのびと人目にも好ましく
暮している人も多いでしょうに。役氏秀高(釈秀高)集録 『役君形生記』(全2巻2冊揃)元禄6年 中野六右衛門刊 江戸時代和本 仏教書 仏書。
ぬきんでた幸運に恵まれるのでなかったら、・・・・・《宮仕えなど
思い立ってはいけなかったのでした」
とお嘆きになる。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 犬甘半左衛門 富家弓法 古文書。》
追記・玉鬘の姫君(大君)に対し、冷泉院(前冷泉天皇)と今上天皇の二人から、入内の要請が来ており、玉鬘の姫君が迷っている場面を記しております。『校訂 翁草 全21巻揃 (首巻+一巻~二十巻)』 池辺義象 編述神沢貞幹 明治38年 五車楼書店発行 当時物 古書 和本。
備考・玉鬘の二人の姫君のうち大君(姉君)は冷泉院(前冷泉天皇)の妻となり、中の君(妹君)は今上天皇の妻となる。皇都一字書高名錬磨鑑。今上天皇の正室(皇后)は明石中宮で匂宮の母君。古文書 古書 長久保赤水 長崎行役日記 長崎紀行 挿絵入り 「標注図画 長崎紀行 水戸赤水先生 全」 和本 歴史資料 江戸時代 長崎。桐壺天皇の皇子で朱雀天皇の皇太子・八の宮の姫君(大君・中の君)とは別人。●極上和本YM4879●江戸明治和本等>〈東都橋坂〉名寄往来[橋名寄往来]鼻山人 稀書往来物。八の宮の姫君・中の君はのちに、今上天皇の皇子・匂宮の妻となる。江戸鑑(武鑑) 寛文〜延寶頃刋。
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。f24121605〇写本 催馬楽譜入文 上中下巻 合本1冊 橘守部 宮廷歌謡のひとつ 天保12年〇和本古書古文書。
《Bamboo River (竹河)》
Whatever her rank, it is always the senior lady in
such instances who attracts the larger measure of sympathy.
So it was at the Reizei Palace.
Everyone, high and low, took the part of the great
lady who had been with the Reizei emperor for so long.
No opportunity was lost to show the younger
lady in an unfavorable light.
"We told you so," said her brothers, making life yet
more difficult for Tamakazura.
"So many girls," sighed that dowager, "live happy,
inconspicuous lives, and no one criticizes them.
Only a girl who seems to have been born lucky
should think of going into the royal service.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《柯根(竹河)》
就世一般人情看来,无身低微的人家,
于首先来而地位正当的人,即使是无甚系的人,
亦必特重。聖地淡路島 淡路鉄道 昭和14 兵庫県淡路市 検)戦前旅行案内鳥瞰図地図鉄道路線図電鉄汽車蒸気機関車SL路面電車汽船航路商船船舶遊覧PK2。因此冷泉院内上下人等,
些些小事也都袒出身高、
入侍年久的弘徽殿女御而指斥新皇妃非。●極上和本YM4882●江戸明治和本等>江戸方位 木村篆楷 嘉永4年 現存唯一 稀書往来物。
于是新皇妃的兄更加振振有了,母道:
“看如何!我的没有。m163◆天下茶屋敵討真伝記 全5冊揃◆写本◆江戸 明和9年序 期 実録 林玄蕃 仇討 日本史 歴史@和本/古文書/古書。”
玉鬘夫人听了很不愉快,心中非常。三遊亭円朝演述 落合芳幾・歌川国久・歌川国峰画『円朝叢談 塩原多助一代記』(二冊)明治時代和本(和装活字本)三遊亭圓朝 落語 人情噺。息道:
“没有像我女儿那痛苦而悠安地度送一生的人,
世多得很。伊勢素封家駒田家文書 写本「百ケ條」嘉永六年 米村鐵次郎筆(駒田義之進宛) 江戸時代和本(写本)武道伝書。
中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
注記・中国語の文字の一部がシステムの関係で反映されない場合があります。めんこ一括。この場合、落札後に正確な中国語の文字を記載した中国語訳文を交付いたします。正風遠州流 挿花衣香 生花本 茶道 江戸期 検索⇒茶道 芸道 華道 茶室 書院 茶書 数寄屋 美濃紙 茶事 茶会 花器 口傳 太子書 文化年 茶書法。
左の写真が「源氏物語」竹河の巻の末尾(原本番号41-B)の押印。f24051048〇一枚刷物 摺物 木版画 歌舞伎 続狂言 仮名手本忠臣蔵十一段 中橋南 寛永期(1624~1644)? 江戸歌舞伎発祥の地〇和本古書古文書。
写真一番左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。●極上和本YM4968●江戸明治和本等>〈天満宮御一代記〉絵本菅原実記 菅公一代記 巨勢秀信 読本 ゆうパック。冬姫は内大臣・通誠の養女。讃岐史要 完 黒木安雄 明治32 香川県歴史 検)さぬき市生駒親正十河一存平賀源内香川之景日本史四国歴史 戦前明治大正古書和書古文書古本NF。
冬姫は通称。三山総絵図。正式な名は伊達貞子。料治真弓著 料治朝鳴(料治熊太)序 板祐生跋『私の一日 昭和十年なつ』昭和10年 板愈良刊 料治眞弓 武井武雄。左端の写真は「竹河の巻」末尾の拡大写真。●極上和本YM4874●江戸明治和本等>新編王子詣 初版本 朝輝斎千春 稀書往来物。
上の篆書体は、「上楼空望往来船」(楼に上りて空しく望む、往来の船)の押印。【洛座】古本 煎茶道具 煎茶会記 円山勝会図録 上下餘全三冊 帙入 熊谷久兵衛編輯 明治 熊谷酔香翁 鳩居堂 山本竹雲。
篆書体の左の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・玉映の落款
写真右上の2つの印は仙台藩医・木村寿禎の落款
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。●極上和本YM4850●江戸明治和本等>〈頭書絵入〉国尽倭文章 天明板 村田屋板 現存唯一 稀書往来物。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。忍術の極意/伊藤銀月・伊藤銀二/大正6年/忍術の形態的方面について秘奥の部に属する五遁の術・忍術の形態的方面における無色無臭無声の極意。)
(出品した自筆の「断層画像写真」(竹河の巻)MRI 44―35B
自筆二つの印のうち上は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」、上は娘の幾千姫(玉映)の落款。★Z55和本江戸期実録写本「武蔵野千秋草花」5冊/古書古文書/手書き。
「源氏物語・国宝」「竹河の巻」主人公の資料
下記写真は、「国宝・竹河・源氏物語絵巻」の中に描かれる玉鬘の姫君(大君・中の君)
「源氏物語絵巻 」竹河(国宝)玉鬘の姫君(大君・中の君)の侍女
右下は、玉鬘の姫君(大君・中の君)と御簾の外からかいま見る夕霧の子息・蔵人少将。「越智宣哲関連書 9冊一括」正気書院他刊 越智橘園の長男で藤沢南岳に学んだ漢学者 奈良県奈良市郷土史料。
「近衛基熙の肖像」「後西院天皇主賓の茶会の記録」
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。中納言行平郷須磨之浦ニテ汐汲ヲ見給躰。2番目の写真は近衛基熙の肖像(陽明文庫・所蔵)
3番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の天皇家・近衛家略系図
4番目の写真は、天皇家・近衛家略系図の出典(淡交テキスト「茶会記」に親しむ・7)平成29年7月淡交社・刊行
源氏物語「竹河」原本に記されております。●極上和本YM4875●江戸明治和本等>堀之内詣 堀の内詣 堀内詣 初版本 稀書往来物。紫式部が「竹河」を書くに際し、「白氏文集」の漢詩を熟読したうえで「源氏物語」の「竹河の巻」を書いていることがわかります。川北温山『温山文 巻下』明治14年 深澤良助刊 漢詩文集 肥前島原藩藩士 明治時代和本。この原詩の言葉の引用は、「竹河の巻」に用いられていることで広く知られている。東京勧業博覧会場総全景紀念。紫式部がこの原詩に親しんでいたと推定されている。浅草観音山内之景。
「上楼空望往来船」(楼に上りて空しく望む、往来の船)という漢詩文の落款が押捺されている。★H533和本江戸安永3年(1774)江戸城の職務記録「御本丸廻状留」1冊/古書古文書/手書き。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。学海日録 全12冊 学海日録研究会編。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。花のこだま 俳諧 楚岳編。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。正風遠州流生花本 挿花衣香 茶道 江戸期 検索⇒茶法本 芸道 華道 茶室 書院 茶書 数寄屋 美濃紙 茶事 茶会 花器 口傳 太子書 文化年 茶書法。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。『喫茶養生記』限定880部 昭和54年 かまくら春秋社刊 承元五年栄西筆「喫茶養生記」(寿福寺所蔵・重要文化財)複製版。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。相撲桟敷割図。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。岳陽楼記 巻菱湖 書道 検)拓本楷書臨書唐本行書草法書書書画法帖折帖法書仏教御経写本習字小野道風中国中華王羲之漢籍漢詩巻菱湖NF。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。全集 日本の歴史 全17冊 松本武彦他。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。女学生徒之図。撮影後、展示のために再表装をしております。【希少】第二中隊『日記』-「日露戦争従軍日記」日清戦争/日露戦争/近衛師団/侵略戦争/皇軍兵士/従軍日誌/従軍日記/戦前中国台湾満州朝鮮。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。一礼之事。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。肉筆扇面 浮田一惠。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。★B58和本江戸天保15年(1844)漢詩文「大橋先生書」1冊/大橋長左衛門/古書古文書/手書き/龍渓書屋蔵。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。校正地方凡例録。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。和本 写本 大工雛形 江戸時代 肉筆 絵図 伝統建築 宮大工 仏閣 社 98丁 古文書 古典籍。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。写本「滄海拾珠」明治初期写 明治時代和本 明治初期の社会学などに関する写本。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。●極上和本YM4962●江戸明治和本等>〈教訓〉福寿経綸録(安永9年) 稀書 上巻やや破損。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。創立百年記念 校友名簿 昭和五十四年 専修大学。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。小児福神舞之図。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。w∞6 江戸期 歴朝詔詞解 一~六 全6冊揃 享和3年 本居宣長 須受能耶蔵板 木版 和本 / E03。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。●極上和本YM4865●江戸明治和本等>〈新版再刻〉江之島詣文章(江嶋詣)滕耕徳 稀書往来物。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。かわらばん 黒船来航(仮題)。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。羽州庄内田川郡湯温海村絵図。母は後水尾天皇皇女女二宮。『開港七十年記念 横浜史料』(全2冊揃)昭和3年 横浜市刊 横浜港 横浜絵・古地図・古写真・錦絵など 横浜市郷土史料。実母は近衛家女房(瑤林院)。●極上和本YM4916●江戸明治和本等>〈名方家蔵〉婦人療治手箱底 乃底 小幡玄春 原装美本。幼名は多治丸。教育歴史双六。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。★0372和本江戸文政10年(1827)写本「逸史」12冊揃い/中井竹山/江戸羽沢山房/松崎慊堂の塾/丹羽悳與/木村儀卿/古書古文書/手書き。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。女の世界 第2巻第4号 大正5年4月号 当時物 幸田露伴 東京実業之世界社 大正時代ゴシップ誌 アナーキー社会主義 戦前女性週刊誌 古書和書PF。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。解剖訓蒙 全8冊 約琴・列第(レイデー)原著松村矩明他訳。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。大野麦風版画 秋(仮題)。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。東海道鉄道真景。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
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